旅への憧れ再び

 

旅への憧れが再発しつつある。

 

きっかけは今年のGWに行ったフィリピン。

一週間だけの短期語学留学で、しかも出来るっだけ英会話レッスンをぎゅうぎゅうに詰め込んだスパルタだったから、

夜の数時間とわずか半日をのぞいて、宿舎に居たという旅情緒も何もない 旅程だったんだけど。

 

毎日毎日、現地のフィリピンの人たちと英語で話しまくって(もちろんたどたどしくですが。)、私はテキストを脱線しまくって、現地の交通事情や政治の様子、現地の人たちが過ごす日常について会話しまくった。

 

フィリピンの道路は渋滞しまくっている上に皆交通ルールを守らないから、とても交通事故が多いのでほんっとうに気を付けて歩いたほうがいいこと

どうやらフィリピン大統領(麻薬常習者やディーラーをかたっぱしから殺したとか)の支持率は高そうであること(私が質問したフィリピン人のほぼ100%が支持)。

現地の人々の憧れのお仕事は船乗りであること(とてもお給料がよいらしい。とある教師の伯父さんは船乗りで、一代で豪邸を建てたらしい)

何故か日本が特に政治的な困難もない平和な楽園のように見られているらしいこと(日本に行けば稼げるから行きたいらしい。)

あと、他民族(スペイン、アメリカ、日本)に占領されつつも強く生き抜いてきた自負から、フィリピン人は非常にたくましくポジティブで、世界中どこに行っても生きていけるし、実際世界中で働いているとか。

 

日本にいて、ひたすら家と職場の往復だけ繰り返している日々からは、とても得られない知識だった。

今まで、国内旅行(主に沖縄の離島部と伊豆)ばかりしていたし、実際それも十分楽しいしためになってきたんだけど、少しマンネリ気味だったところに良い刺激だった。

 

別にそれで自分の状況の何が変わるわけでもないけれど、

世界は自分の視界の中だけではない、というアタリマエの事実に気が付いた。

そしてそれは、私の心をほんの少しばかり明るくしてくれた。

つまりは、一歩いつもと行動を変えれば違う世界に行けて、

アタリマエがアタリマエでなくなることは容易だって、簡単な事実が私に希望を持たせてくれたのだ。

 

もちろん、実際に現実を変えるには、日々の地道な努力が必要で、

ある行動はドラスティックに未来を変えることはなく、ひたすら河原に石を積むような真似を繰り返さないといけないんだけど。

 

でも、現実がインターネットや周りが言う”こうあるべき”や”こうなるはず”に

当てはまらない可能性なんて、いくらでもある。

これができなければ人生おしまいとか、ここを失敗したら未来はないとか、そんなことはいつもの日々の往復運動で視野狭窄状態に陥ったときに発せられる言葉なんじゃないかなあ。

 

そんなわけで、私は視点を変えることで少ししぶとくなったのでした。

 

次は台湾に行ってきます。