妊娠とか

一年ぶり?の更新。

 

今年の4月から妊娠しまして、夏は悪阻で白目をむいてまして、

秋は何故か職場でリーダー職を引き受けてしまい悪阻のダブルパンチで昇天→入院

冬は産休でだらだらすると同時に自分の中のアイデンティティの更新を迫られてそわそわ。

 

とお気持ち的に忙しい日々を送っていました。

 

新年を迎えいつ出産してもおかしくないのでその前に昨年一年間のまとめを書いておこうと思います。

 

1月2月:

職場で人間関係トラブル。私に前々からしつこくちょっかいをかけてくる男性に、

はっきり止めてくださいと言ったら何故か周囲に、「あいつは俺に心を開いていて精神的な問題について相談を受けていたから応じていた」と言いふらされていたことが発覚。

※ちなみにそんな事実はなく、さしのみどころかランチすら行ったことのない相手でした。

 

職場的には職位が上の相手でしたので、仕事を回されなかったり私の行った仕事の品質についてマイナスのことを私の仕事を評価するマネージャー層に言われたりしました。

 

もともと評判のよい男性ではなかったので、そこまで私の立場が悪くなることはなかったのですが、私が彼のやることをあっさり無視したのが気に食わなかったらしくその後もしつこく裏でやり続けていました。

 

そういうのが続くと、普段私と仕事を一緒にする機会のない人たちの中で彼の言うことを信じてしまう人も出てくるものです。

結果、私は2年いたプロジェクトを離れることに決め、異動希望を出すことになりました。

 

3月:

結婚式をあげて4カ月後に鹿児島に単身赴任!をすることになった夫が、ついに東京に帰ってくることが正式決定しました。

実は年始から話はあったのですが、正式に内示が出たのは3月。

そこから怒涛の引っ越し作業が始まりました。というか何故か私が東京から鹿児島にやってきて彼の部屋を片付けました。おい。

彼の職場はとても忙しく、しかも年度末に仕事が集中するスタイルの職場で、なのに転勤の内示はぎりぎりにならないと出ず、加えてオフィスの引っ越しまで年度末に重なるという鬼畜の所業で、夫は完全に引っ越し作業ができなくなったのでした。

対する私は、続く私へのネガキャンに見切りをつけて新PJへのアサインが決まっていたので仕事が軽くなっていました。よって鹿児島へ行って彼の部屋を片付けまくり。その間、彼は仕事に追われる。

そんななか、とどめの一撃で彼の育ての親たる祖母が亡くなりました。彼の憔悴具合は相当のもので見ていて本当にかわいそうでした。

 

そして、お互いの仕事に業務的にも気持ち的にも区切りがつくこのタイミングで、子供を作ろう、という話になりました。

 

4月:

妊娠しました。

はやっ。

 

5月:

私は新しいプロジェクトに異動しました。

妊娠はまだ会社に言わないままのつもりでしたが、下旬には悪阻が始まり予想以上に気持ち悪かったため、現場のマネージャーには伝えることにしました。

 

6月:

新しいPJでの仕事が本格化すると同時に悪阻も本格化。

満員電車で倒れかける。昼ごはん食べた後にめっちゃ気持ち悪くなって早退×n回・・・

PJは基本設計段階で重要ポジションの人が急きょ別のPJに異動。

 

 

7月:

1機能の基本設計チームのサブリーダーで働く。悪阻は絶賛継続中。

夫、仕事でスイスへ。彼が忙しすぎ?て出張の準備を私がやる。

なのに、スイス滞在中に私を気遣うLineはなし。ここで一回目のぶち切れ。

彼は謝罪したものの 、帰国してから前職場から誘われた鹿児島旅行に行っていいか私に聞く。わたし、悪阻で体調最悪なのに仕事して家事して何故か夫の出張準備までしてるのに・・・・何故貴様は身重の妻をいたわる発想がないのか!?

とぶち切れ2回目。夫を土下座させてしまった・・・。

 

8月:

基本設計佳境。悪阻だが残業せざるを得ない状況。

そもそもPJに支払われるお金が少ないのに難易度は高いとなると、

面子のスキルが低すぎてリーダー層やベテラン層に過度な負担がかかるのだ。

プログラミングどころかエクセルや日本語の使い方も怪しい技術者って何?

どうにか着地させた。

 

9月:

前半はお子さんが入院してしまった先輩のチームを一時的に管理。基本設計書の修正作業と残作業の整理をマネージメント。

おいおい、こちらのチームさらにスキル低すぎてどうにもなってないぜ・・・

 

後半は詳細設計段階のリーダーに任命。

マネージャーからオファーが来たときに、育休明けでも使える人材カウントされたくて断れなかった。。。転職するときのことも考えて色気を出しました。これがいかんかった。

ここらへんから悪阻がやや落ち着く。しかし、帰宅した後、倒れるように布団へ行く日々。

なのに家事やってご飯作ってた・・・

 

10月:

詳細設計チームの立ち上げ作業。決してそこまで難しい機能ではないが、面子にスキルレベルを考えてWBSを余裕をもってひいたが、彼ら条件式すら微妙だぜ。

最終的にレビュー時に私が書き直すレベル。ベテランさんも白目をむきそう。

ここで私が産休入った後の後釜の人が入るが、彼女、設計書かけないーーーーー!!!!!

だからって私に対して不機嫌にならないでーーーー!!!

あなたが入社以来設計書やプログラミングスキルを磨けなかったのは私のせいではないーーー!!!!

 

夫、その間、臨時国会で提出する法案関係に巻き込まれ、月300時間残業の部署に異動。

家に帰った後になるべく消化によいご飯作って、3時くらいに帰ってきたり徹夜して返ってくる夫を労わる。土日も仕事の彼。なるべく隙あらば寝かせる。話も聞く。

 

11月:

おいおい、11月初めに入って切迫早産で入院だぜ。。。

金曜夜に帰宅後にシャワー浴びてたら、赤子がめっちゃ動いてお腹もギュッと張って、

瞬間、股の間からじゃじゃっと何らかの水が出た感じがしたんですね。

破水?と思って夜間救急に行ったら破水ではないが、子宮頚管長が通常の人の半分になってて緊急入院になりました。

一か月間、とにかくベッドの上で横になり、なるべく歩かない立たないを命じられ、もちろん会社は休職。産休まで20日の時点で持たなかったよ。。。

会社の仲の良い子の結婚式にも出席できなかった。。。

でも、久しぶりに上げ膳据え膳で寝て起きて看護師さんに労わられて、仕事も家事もしなくていい一か月間は最高でした。続いていた悪阻だと思っていた気持ち悪さもなくなりました。どうやら悪阻ではなく疲労による体調不良を悪阻長引いてると勘違いしてた模様。やばかた。

赤子、ごめん。でも、赤子は元気で育ってくれてた。お顔もちょっとわかった。

なんだか鼻筋が通って目が大きい子。元気によく動く。無事に生まれておいで。

 

夫は300時間残業から生還。初のエジプト出張もこなす。

ほんと、この人ぼんやりして見えるのにタフだよね。。。

 

12月:

退院+産休開始。

2週間くらいは自宅安静のため、荒れ果てた家の片づけをのんびりやる。

要らない書類溜め込み過ぎ。

夫も仕事落ち着いて、早く帰ってきて私を労わろうとしてくれる。

でも甘えてもくる。かわいい。

そんなこんなで年末を迎えました。

 

 

まとめ:

この一年間、頑張りました。

でも、書いててやり過ぎたこともわかる。

ブレーキ大事。

復職のこととか夫の転勤で一回会社を辞めた場合の復帰とか考えすぎて、自分に負担を載せすぎた。妊娠中は引き受けた負担のリスクはそのまま赤子にいく。

一応、この一年間の平均月残業時間は20時間未満で調整したのだけど、それでも業務内容によっては心身に負担がいく。もう少し自分で自分のこと労わればよかった。

赤子が無事でよかった。反省。

 

私は流産の可能性が人より高いと診断されていたのに、4月にすぐ妊娠してしかも順調に赤子が育ってくれてラッキーだった。

2019年は赤子を無事に生んで、無事に育てたい。彼女には安心と安全を与えたい。

夫とはなるべく産後クライシスを起こさずに従前通り仲良くいたい。

 

夫が真剣に留学を考えているので、もしかしたら復職する前に海外赴任になるかもしれない。そしたら会社はほぼ高確率で辞めざるを得ないし、そしたら今後の仕事をどうするか考えないといけない。

わが子と仲良くしながら、彼女の様子をみながら、地道にお金を稼いでいこうと思う。

 

2019年は愛に満ちた日々になるといい。

性欲について

最近、といってもいつからなのだか正確にはわからないのだけど、

性欲なるものが減退している気がする。

もともと、性欲は強い方ではなく、時々ふと、したいなー

でも、どっちでもいいや、

くらいのものでした。

まさにそよ風のような性欲でした。

 

それがこの数か月、凪に近い。

家でぼーっとしていても、読んだ本や観たドラマでえろいシーンがあっても、

なんだか淡々とみてしまう。

夫を前にすると、彼を悦ばせたいとは思っても、

特にしたいとは思わないのだ。

よって、手やら何やらで彼を愛撫して喜ぶ彼をみて満足してしまう。

けして彼のことが性的に見れないというわけではなく、

ほんっとうに性欲が凪いでしまい、

この世でただ唯一凪いだ性欲の表面を波立たせられるのは彼のみ、という状況。

 

疲れているのか、病んでいるのか、

いや、身体的にも精神的にも、いまは特につらい時期ではない。

ただひたすら、昔あった後悔や人間関係におけるどうしようもない失敗やらを思い出して、

道で良くぴたっと立ち止まる。

 

いまは人生における、何の時期なんでしょうね。

お酒と私と飲みニケーション

私は下戸だ。

まったくの下戸。

どれほどかというと、ビール50ml飲んだだけで翌日体調がすこぶる悪いくらい。

もっと飲むと翌日から鬱状態になる。

昔あった嫌なこと、これからあるだろう悪いことを考えては嫌な気分になる。

飲み会が週に一回でもあると、簡単にその週は仕事ができなくなる。

 

昔はそうではなかった気もする。

正確には、我慢がもっときいていた。

我慢してお酒を飲んで、笑って、楽しい話をして、少しのセクハラは耐える。

そういうことができていた。

でも、20代後半になって、それがどんどんできなくなっていった。

会社員としては致命的な欠陥だよなあ、と自分でも思う。

会社員にとって、お酒の場は大切とされている。

お酒を皆で飲んで、腹を割って話すことで場の一体感が生まれて仕事ができるようになる、そうで。

ただ、私としてはお酒を飲んで仕事が上手くいくようになった試しがない。

仕事は仕事だし、それは自分の個人的な感情とは別だと思う。

誰それと仲がいいとか、プライベートをよく知っているとか、そういうことでパフォーマンスを変えてはいけないと思う。

と、理想論では思ってみる。

 

なんだか、あの、やたらに他人との距離が近くなる感じが嫌いなんだよな~

正直、やたらプライベートなことを聞いて来たり、あまつさえ夫との性生活とか聞いて来たりするし、それが許されると思っているあたり、なんかもう。。。。

 

昨日は取引先のおじさま方と飲んできた。自分としてはかなり気を張って楽しいように振る舞えたから、成功だとは思う。

ただ、飲み会=楽しい

では、全くないんだな。

 

いつか克服?できるのでしょうか。

お肌

 

お肌が人生最高に良い状態である。

 

ニキビはなく、

程よくしっとりし、

毛穴は目立たず、

なんだかもちもちしている。

 

この状態になり始めたのは一年くらい前からであろうか。

転職したての頃は、

ある意味、東京のちゃんとしたOLに見えるようにならなきゃ!

と肩ひじ張っていたので、

化粧下地を塗ってファンデーションも塗って、口紅塗って・・・

とやっていたのであるが、

しばらくしてなんだかいろんなことに気が抜けて、

 

①朝起きたとき顔は適当に水洗い

②もっと寝たいのでファンデーションをやめる

③もっともっと寝たいので化粧下地をやめる

④太陽光はきっと健康にいいはず!と錯乱して日焼け止めを塗るのをやめる

⑤仕事から帰ってきたとき面倒なので、化粧水→乳液を化粧水のみにする。

 高いものは心が痛むのでいっぱい入ってお安いへちまコロンにする。

 

となった結果、毎日すっぴんで出勤である。

少し色のつくリップクリームだけ塗っている。

 

アイメイクや眉は?と思われるかもしれないが、

私はまつ毛や眉毛といった毛関係が異様に濃いので、心配は無用である。

 

そしたら、この一年、どんどん肌がきめ細かく綺麗になっていった。

人生史上最高。

 

なんだか心まで軽くなったような・・・。

 

化粧と一緒に ちゃんとしたOL であらねば!という強張った気持ちも捨て去ったようで、

前より自分が好きである。

 

ただ、化粧を本当に楽しんで、季節やシーンに合わせて工夫している人のブログを読むのは未だに大好きなので、

この状態の上で、時々楽しむ方向で行きたい。

 

なんにせよ、肌の調子がよいと、仕事の調子も良くなりますね。

自分が好きになれます。

 

 

かしこ

旅への憧れ再び

 

旅への憧れが再発しつつある。

 

きっかけは今年のGWに行ったフィリピン。

一週間だけの短期語学留学で、しかも出来るっだけ英会話レッスンをぎゅうぎゅうに詰め込んだスパルタだったから、

夜の数時間とわずか半日をのぞいて、宿舎に居たという旅情緒も何もない 旅程だったんだけど。

 

毎日毎日、現地のフィリピンの人たちと英語で話しまくって(もちろんたどたどしくですが。)、私はテキストを脱線しまくって、現地の交通事情や政治の様子、現地の人たちが過ごす日常について会話しまくった。

 

フィリピンの道路は渋滞しまくっている上に皆交通ルールを守らないから、とても交通事故が多いのでほんっとうに気を付けて歩いたほうがいいこと

どうやらフィリピン大統領(麻薬常習者やディーラーをかたっぱしから殺したとか)の支持率は高そうであること(私が質問したフィリピン人のほぼ100%が支持)。

現地の人々の憧れのお仕事は船乗りであること(とてもお給料がよいらしい。とある教師の伯父さんは船乗りで、一代で豪邸を建てたらしい)

何故か日本が特に政治的な困難もない平和な楽園のように見られているらしいこと(日本に行けば稼げるから行きたいらしい。)

あと、他民族(スペイン、アメリカ、日本)に占領されつつも強く生き抜いてきた自負から、フィリピン人は非常にたくましくポジティブで、世界中どこに行っても生きていけるし、実際世界中で働いているとか。

 

日本にいて、ひたすら家と職場の往復だけ繰り返している日々からは、とても得られない知識だった。

今まで、国内旅行(主に沖縄の離島部と伊豆)ばかりしていたし、実際それも十分楽しいしためになってきたんだけど、少しマンネリ気味だったところに良い刺激だった。

 

別にそれで自分の状況の何が変わるわけでもないけれど、

世界は自分の視界の中だけではない、というアタリマエの事実に気が付いた。

そしてそれは、私の心をほんの少しばかり明るくしてくれた。

つまりは、一歩いつもと行動を変えれば違う世界に行けて、

アタリマエがアタリマエでなくなることは容易だって、簡単な事実が私に希望を持たせてくれたのだ。

 

もちろん、実際に現実を変えるには、日々の地道な努力が必要で、

ある行動はドラスティックに未来を変えることはなく、ひたすら河原に石を積むような真似を繰り返さないといけないんだけど。

 

でも、現実がインターネットや周りが言う”こうあるべき”や”こうなるはず”に

当てはまらない可能性なんて、いくらでもある。

これができなければ人生おしまいとか、ここを失敗したら未来はないとか、そんなことはいつもの日々の往復運動で視野狭窄状態に陥ったときに発せられる言葉なんじゃないかなあ。

 

そんなわけで、私は視点を変えることで少ししぶとくなったのでした。

 

次は台湾に行ってきます。

 

渋皮煮の季節

また、一年回って渋皮煮の季節がやってきた。

あたりはもう秋の気配だ。

空には魚のように鱗雲が浮かんでいるし、空気はひんやりとして冷たい。

 

私はこの季節が好きだ。

心が落ち着き、しんとし始める。

夏の心がざわめく感じも好きだけど、

それに少し疲れたころに秋はやってきてくれるのがいい。

 

一年経って、私もいろいろ変わった気がする。

何とはうまく言えないけれど、

前より深く息が吸えるようになった気がするし、

落ち着いてものを見れるようになった気がする。

 

最近、自分への許し、についてよく考える。

私は、(皆は?)、自分の歩調を周囲に合わせるよう、強いてきた気がする。

それが思いっきり無理がきたのが、ここ数年間の私に起こった出来事だったと思う。

 

さまざまに周囲への怒りや両親の無理解や、起こったさまざまな理不尽を

思い出せば未だに息が詰まるのだけど、

どこかに 私がいけないからこんなことをされるのではないか? と思ってたと思う。

でも、もう、そんなつまらないことは考えなくてよくて、

私はきちんと努力をし、

誠実に対応したことを、

もう認めてあげてもよくなったと思う。

 

それだけ。